小さな丸い覗き窓から中を伺うと、薄暗いカウンターには女性が二人。
どうもお客様はそれしかいないみたい。
土曜の夜だっていうのに珍しいけど、僕にとってはラッキーです。
ちょっとワクワクしながらとびらを空けた途端、
いきなり耳に飛び込んできたのは、
八分の六拍子にのったコンガのソロ。
メロディも、ハーモニーもない部分なんだけど、これだけでもうわかった!
ダニー・ハサウェイの「ライブ」に収録されている「ザ・ゲットー」です。
「こんちは!いきなり凄い曲がかかってますね。(笑)」
「あっ!どうも、いらっしゃい。ちょうどダニーをかけてたところだったんです。」
マスターは顔を見るなりいつもの笑顔で出迎えてくれました。
7、8席ほどのカウンターへ近づき、いつもの右端の席へ腰をおろします。
その席の前に、ターンテーブルが2台並び、壁にはプレイ中のアルバムが
ディスプレイされているからです。
そこには、見慣れた2枚のジャケットがディスプレイされています。
左には、今プレイしているダニーのライブ。
右にはマービン・ゲイのI want you
やっぱり、こういう風に出迎えてもらえる場所があるのは嬉しいね。
ふと見れば、マスターが何かを手に持って近寄ってきます。
「これ、サイコーでしたよ!さすがアレサ。堪能させてもらいました。」
「良かったですか、そりゃ嬉しいです。」
前回、モータウンのDVDを借りたお礼に、アレサ・フランクリンのライブ
を収録したDVDをお貸ししていたんです。
何時くるともわからないのに、常に返せるようにしていたみたい。
こういう人柄だから、また来ちゃうのかもしれないな。
「じゃあ、まずはギネスをお願いします。」
「はい、ギネスですね。」
まもなく、細かな泡がたっぷりとのった黒いビールが僕の前へ。
まず、つまみのプレッツェルを口にほうり込みます。
カリッとした歯ごたえのあとに、ほんのりあまいメイプルシロップの香りが
口に広がっていきます。
続いて、ギネスを喉に流し込みます。
このビール独特の苦味と、メイプルシロップの甘みが合わさると、
なんともいえない心地よさ。
そうそう、こうして浸っているのもいいんだけど、
今日はマスターに渡すものを持ってきてたんだっけ!
「ナルさん、今日はちょっとレコードを持ってきたんですよ。
そろそろクリスマスも近いから、こんなアルバムも使えるかなと思って。」
そういって、僕はオレンジ色のバッグから3枚のレコードを出した。
「お!ジャクソンファイブですね。これ持っていないんですよ。」
「そりゃ良かった!これはお店できっと使えますよ。それと、定番だけどダニーの
ディス・クリスマスが入っているベストと、アル・ジョンソンのアルバム。」
「ダニーのディス・クリスマスは最高ですよね!早速かけましょ。それと、
アル・ジョンソンは気になってたんですけどこれも聴いたことなくって。」
マスターは嬉しそうに、ジャケットからレコードを滑り出させます。
わずかなノイズのあとにはじまったのは、鈴の音を伴ったリズムに絡む
高らかなホーンのフレーズ。
何度も聴いているのに、やっぱりゾクッときてしまう。
この時期、必ず聞きたくなる定番のクリスマスソングは、ワムでもマライヤでもなく、
ダニーの「ディス・クリスマス」なんですよ。
なんかね、ダニーにしては珍しいほど明るい曲調や歌詞なんだけど、
それがかえって切ないんです。
彼の不幸な結末を知っているせいか、どこか、物悲しい気持ちにさせられてね、
だからこそ今のこの楽しさをかみ締めなきゃっていう気分になるのかな。
そんな思いに耽りながら、プレッツェルとギネスを交合にゆっくりと口へ。
こんなふうに始まった、僕が音楽に浸れる貴重な時間。
ターンテーブルへ次から次へ載せ換わっていくアルバムの数々。
それを特等席で聴きながら、ジャケットを手にとらせてもらい、
曲やアーティストついての話をマスターと好きなだけ交わす。
気がつけば、閉店時間を大幅に過ぎています。
「こんなに閉店時間を過ぎてすいません。じゃあ、そろそろ帰ります。」
「ありがとうございました。明日は休み出し、大丈夫ですから。」
戸口まで笑顔で見送ってもらい、歩いて5分の家路につきました。
自宅から一番近いバーが、たまたまこんなに趣味の合うお店だったなんて、
これは偶然じゃない気がするんだけどね。
あ、
●●●・バーって、ソウル・バーのことですよ。念のため。